こんにちは。
春の訪れとともに花粉症症状が増強している今日この頃です。(ちょっと憂鬱だったりします。)
今日はこころとからだのバランス問題について考えてみます。
*最初にちょっとお断りしておきますが、このブログはほとんど学問としての医学の話はしません。洗脳じみた民間療法的な話もしません。在宅緩和ケアの現場で僕が勝手に思ったこと、感じたことを言葉にしているだけなので、エビデンスベースではないということをご承知おきください。
かつて某企業のCMのコピーで「こころとからだ、人間の全部」というものがありました。ご存じの方も多いと思います。人間はこころとからだから成り立っているということなのでしょう。これ、とてもしっくりきます。そうだよな、っていつも感じています。
で、「こころ」というのは何かというと、考えることとか感じることとかを意味するわけでしょうから、やはり脳の機能ということになるでしょう。もうちょっと詳しく言えば、人間の特徴でもある高次脳機能と言ってもよさそうです。言い方を変えると「認知機能」ということになるのでしょう。
一方で「からだ」とは当然「身体機能」ということになりますね。身体機能というのは臓器機能と運動機能の総称だと考えます。
要するに、「こころとからだ」というのは「認知機能と身体機能」ということになるんだと思います。
「認知機能と身体機能、人間の全部」と言い換えられるわけです。
人間は必ず歳をとります(もちろん他の生物も)。歳をとるということは老化が進んでいくということであり、機能が低下していくということです。「こころとからだ」は約100年ほどをかけて機能が低下していく存在なのです。
そして、人間はしばしばけがをしたり病気になったりします(もちろん他の生物も)。けがや病気によって「こころ」や「からだ」が傷つきます。傷つくと機能の低下を招きます。
老化は「こころ」と「からだ」に均等に現れますが、けがや病気は「こころ」や「からだ」の一部に強く影響し不均一なダメージを及ぼします。時にいのちにかかわることもあります。
問題はここからです。
「ターミナル期」というものを考えてみます。最近では「人生の最終段階」と呼称したりします。
絶対的な定義はありませんが、原因は何であれ生命の維持が困難になってきた不可逆的な状態と考えることができます。すべての人間はこの「ターミナル期」を生涯で一度経験することになるのです(もちろん他の生物も)。
「ターミナル期」は回復不能なので、せめて穏やかに過ごしたい、過ごしてもらいたいと願うわけです。人生をつつがなく過ごしたのちに行きつく「ターミナル期」は穏やかなものだと思っています。特に他者が介入する必要はありません。「こころ」と「からだ」がバランスよく老いていく、「認知機能」と「身体機能」がバランスよく低下していくと苦痛が少なく穏やかなのだと思うのです。自然のありようですね。われわれは見守るだけでよいのです。
一方、けがや病気で「こころ」と「からだ」の機能低下のバランスが崩れるとそこに苦痛が発生するのだと思います。本人にとっても、まわりの人たちにとっても。
「からだ」はまだまだ元気なのに「こころ」の機能が先行して低下した状態が認知機能障害(認知症)です。がんや臓器不全などは「こころ」は元気なのに「からだ」が弱ってしまいます。どちらも自覚的にも他覚的にもつらい状態だと思います。
崩れたバランスは残念ながら元に戻すことはできません。いのちって結構ナイーブです。
だからこそサポートが必要です。それが緩和ケアです。
原因は問いません。注目するのはバランスの崩れであり、バランスの崩れから発生する苦痛です。
そして目指すのはバランスの崩れの修復ではありません。バランスの崩れは修復不能であるということを受け入れたうえで、そこから発生する苦痛を減らすことが最大かつ唯一の目的です。
薬物療法やその他の医療行為がが役に立つこともあります。役に立たないこともあります。生活の支援は大いに役に立つでしょう。人と人とのつながりが一番効果的だったりします。
一番大事なのは、目的を正しく認識し、行動することです。これは誰にでもできることです。
医学的な話じゃなくてすみません。