こんにちは。
寒い日が続いています。インフルエンザもまだまだ猛威を振るっています。
人と接するときはできるだけマスクをするようにしましょう。
今日は『看取り目的』という表現について考えてみたいと思います。
医療業界でしばしば「看取り目的に入院する、退院する、転院する」という表現がされることがあります。意図しているところは理解できますが、僕はこの言い方が大嫌いです。どうしても医療者の傲慢さを感じてしまいます。
ちょっと考えてみます。
まずは『看取り』とは何を意味しているのか、ということを考えなければなりません。
『看取り』というのは医学専門用語ではなく、一般社会で使用される言葉です。
かつては死期が近づいてきた方の看病をする、介護をする、という行為そのものを『看取る』と表現していたようですが、現代ではそういう使い方をすることはほとんどないと思います。常識的には死期が近づいてきた方の看病・介護をした結果として最後の時を迎える、ということを意味しています。
プロセスではなくあくまでも結果を指す言葉だと認識されています。厚生労働省もそのような意味でこの言葉を使用しています。
そういうわけですから、『看取り』という言葉の意味するところを目的と表現するのは正しくないと思うのです。
最も大事なのは、『看取り』が近いと推測される方が、最期の時までどのように過ごすかであり、そこにどのような支援ができるかです。それはターミナルケアとしての緩和ケアと言ってよいでしょう(緩和ケアはターミナルケアに限定しないというところには注意が必要です)。過程を目的とするというのもちょっと変かもしれませんが、そのターミナルケアとしての緩和ケアこそが目的と表現されるべきです。
もちろん医療者はそういう意味を込めて『看取り目的』と表現しているのかもしれませんが、言葉には魂がこもりますので、安易に使っていると「死を迎えることを目的としている」という意味が込められてしまうので注意が必要なのです。
死期が近い患者さんが家に帰るのは、死を迎えるためではありません。残された貴重な時間を有意義に過ごすために帰るのです。
目的はあくまでも生きることです。
在宅ターミナルケアは生きることを支えるケアです。