その後の「またお会いしましょう」

こんにちは。梅雨に入り雨模様の日が増えてきました。外回りの仕事にはつらいですね。

 

前回のブログで、ホスピスに送り出した方のもとに面会に行く話をしました。

今日はその続きのお話です。

 

訪問診療を始めた当初から、ホスピスに送り出した患者さんのもとには必ず面会に行くことにしていました。それが患者さん・家族さんにどんな意味を持つのかはわかりませんが、元主治医としての義務とか礼儀だと勝手に決めています。患者さんのために行くというよりは自分のために行っているのです。

 

自分のためと言いながら変な話ですが、面会に行くのは自分にとってなかなかのハードワークです。それは元患者さんとの距離感がとりづらいということに起因します。

元患者さんのもとに面会に来た元主治医が、どんな立ち位置で、どんな距離感で、どんな話をすればいいのか、よくわからないのです。

 

主治医なら「がんばれ」と言うこともできます。「がんばらなくていいんですよ」と言うこともできます。なぜなら、自分の言葉に責任を負うことができるからです。このへんは一般の方にはわかりにくいかもしれませんが、命を預かっているからこそかけられる言葉というものがあると思っています。

 

ところが、元患者さんと元主治医という関係性になってしまうと、言葉の重みがなくなるのです。ホスピス入院中の方と知人の中年男性、という普通の関係性のなかでの発言になるわけです。急に素の自分をさらけ出すような感じになり、逆に戸惑ってしまうのです。ある種の職業病かもしれません。

 

それで、何となく浮足立った落ち着かない感じで言葉を交わすことになってしまいます。さらには、元主治医というだけの人間がその場にいつまでもとどまっているのは迷惑じゃないかと思ってしまいます。本音ではずっと主治医としてそばにいたいのですが。

 

後ろ髪をひかれる思いを持ちながらその場を立ち去るわけですが、そのときにかける言葉は決まっています。

それが「またお会いしましょう」です。

 

悲しいことですが、現実的にはまたお会いすることは、ありません。いわゆる今生の別れです。

でも、嘘をついているつもりはありません。

この世で会えないなら、あちらで会えばいいと思っています。こころのなかで(あちらに行ったら必ず会いに行きますね)とつぶやいて、病室をあとにします。

 

だから、さよならは言いません。