『患者』という役割について-その2

こんにちは。

今日は前回に引き続いて『役割』ということについて考えてみます。

 

前回は、「患者という役割の優先順位を下げてみる」ということをお話ししました。

今回は、「意識して患者という役割を演じてみる」というお話をします。

 

人はみな、多くの役割を演じながら生きています。役割を演じることは他者と交わることだからです。

「『患者』という役割以外の役割を優先する」という行為は、日常生活を営む上で非常に重要です。

そのうえで発想を転換して、「あえて『患者』という役割を演じてみる」のはどうでしょうか。

 

病を患うということは非常に悲しくつらいことです。特に、治癒が期待できなかったり、生命をおびやかすような疾病の場合は、耐え難い苦痛を感じることでしょう。

そのときに、悲しみにうちひしがれるのは当然のことです。怒りの感情もわくでしょう。

しかしながら、悲しんだり怒ってばかりいては、ちょっともったいないと思うのです。

 

病を患ってしまったことを運命として受け入れてみてはどうでしょうか。

そして、『患者』という役割を進んで(たまにでいいのです)演じてみてはどうでしょうか。

患者さんにしかわからないことがたくさんあります。

患者さんにしか見えない景色もたくさんあります。

患者さんにしか言えない言葉は無限にあると思うのです。

 

それらを伝えてみませんか?

 

病を患った人も、(今は)健康な人も、いずれ天国に行く日が来ます。

つらいことです。怖いとも感じます。

では、そのつらさを減らすことはできるでしょうか? 怖さを和らげることはできるでしょうか?

それはとても難しいことですが、ひとつアイデアがあります。

 

『自分』という存在は、いずれ現世から消えていきますが、

『自分が存在した』ということは、現世に遺すことができます。

自分という存在を、他者の心に刻みつけてもらうのです。

自分という存在は消えてしまっても、自分が存在したという記憶は他者の心に残るのです。

そう考えると、少し怖さが和らぎませんか?

 

自分という存在を他者の心に刻みつけてもらうためには、自分が他者に向けて『発信する』必要があります。

さて、何をどうやって発信すればよいでしょうか?

むずかしく考える必要はありません。

自分のことを語ればいいのです。自分の思いを言葉にすればいいだけです。

そして、『患者』という役割は、この『発信する』という行為にうってつけなのです。

 

ご自分の病気のことを言葉にしてみませんか?

病を患った時の気持ちを語ってみませんか?

あなたにしかわからないことがたくさんあります。

あなたにしか見えない景色もたくさんあります。

あなたにしか言えない言葉は無限にあると思うのです。