こんにちは。
今日は自宅で看取るということの意味について考えてみます。
右の図は厚生労働省の発表した死亡場所の年次推移のグラフです。
かつては自宅で最期を迎えることが圧倒的に多かったわけですが、時代とともに病院で最期を迎える方が増加し、1070年代のなかばにその比率が逆転し、現在に至っています。
現在ではおおむね80%の方が病院で亡くなり、十数%の方が自宅で亡くなっています。
このことをちょっと掘り下げてみます。
僕は1960年代の生まれです。祖父は1977年に自宅で父(町医者です)に看取られました。
祖母は1988年に病院で最期を迎えました。
僕らの世代は、『自宅で家族が最期を迎える』ということを普通のこととして経験した(ことを記憶している)最後の世代になるのでしょう。
これから先の高齢者を看取る世代(すなわち僕らより下の世代)の人たちは、幼児体験としても『自宅で家族が最期を迎える』ということを経験していません。
したがって、自分の親御さんを看取るのに際して、『家で看取る』という発想が生まれないのです。
『看取りは文化である』という考え方があります。それが正しいのなら、やはり文化は継承していくべきでしょう。「家で最期を迎えることもできるのだ」ということを、それが少数派であることは受け入れつつ、アピールしていきたいと思います。在宅看取りを神聖化することなく、強制することもなく、選択肢の一つとして、そして文化的価値のあるものとして、支援します。
参考資料:厚生労働省医政局指導課 在宅医療推進室 『在宅医療の最近の動向』